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介入について組織的に話し合います。私たちは末期患者のQOLを成就するためのチャレンジやストレスを探求する上で、介護者がサポートされる方法を考えます。
最後にさまざまな問題について、たとえば自殺を助けるとか、緩和ケアのプロセスに影響を与え、また介護者を引き裂くような規則の結果について触れていきたいと思います。

 

死を前にした人にとってのQOLとは

急性疾患では、とにかく生命がもちこたえられているというのが何よりなのだということが受け入れられているようです。そのさいには、質はその状況がもとに戻るまで横に置かれます。患者は以前の機能を得られるという希望をもって、非常に大きな不快でも受け入れます。たとえばアメリカ合衆国では、若いときの容姿を再び得られるという希望をもって一時的に変形する手術や苦痛を受け入れる女性を見ることはまれではありません。しかしながら、慢性病や末期の病気では、正常さは決して戻ってきません。質は、いま、ここでという時点に見出されなければなりません。
それでは、QOLとは前の状態に再び戻らないことが明白になるときにどのような意味をもつのでしょうか。単刀直入な定義から始めましょう。
QOLとは、その人にとってQOLが満たされているということです。おそらくみなさまはマックカフレー(McCaffrey)の痛みの古典的定義にこの定義が似ていることに気づかれるかもしれません。痛みとは、「その人が痛いということは何でも、また、そういう時はいつでも存在するものです」(1979)。
QOLのこの定義は個人に焦点が向けられています。私たちは、その個人にとっての質がどんな意味であるかを尋ねなければなりません。
痛みがないということで十分であると仮定することはできません。
車椅子に縛りつけられていることは、人生の満足がないと仮定することはできません。
裕福であることがよいQOLを必ず保証するとは仮定することができません。
ひとつの文化でQOLを意味することが他の文化で質を意味するということを仮定することはできませんし、同じ文化でも違った世代の人々にとって同じものを意味すると仮定してはなりません。
QOLとは、その人がそうであると言ったものなのです。QOLの測定には注意を必要とします。主観的要素は直接的に観察することはできませんし、患者間の比較も意味がありません。一定期間であっても、同じ人の測定値であっても、個人の状況が変化するにつれて変わります。
QOLを測定することについて、たとえ疑問があっても、私たちはスタッフや費用コストと介入益を評価するための測定尺度を必要としています。医学的ケアは、積極的治療によって生命を長くできるかもしれません。乳がん患者の骨髄移植はその例です。しかし、もしQOLを最小限にするなら、積極的治療をほどこすかどうかを患者に聞くことは正しいことでしょうか。
私たちはホスピスその他のケア施設で患者のQOLを改善したいといいます。その結果を知るために聞くことは正しいことです。ケアの効果がどう変化するかを示すのに、十分な尺度を見出すことができるでしょうか。介入がそれらの目的を果たしていることをどうして知ることができるでしょうか。
測定尺度の問題を解決する初めの試みは、「あなたのQOLはどうですか?」という一つの質問によっていました。これは、研究の立場からは満足のいく結果を提供しませんでした。それ以来、多項目の質問事項が作られ、患者のエネルギーを

 

 

 

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